86年お疲れさまでした。ありがとうございました。
ちょうど一週間前のこと。
日曜日に急に倒れたと連絡のあった父方の祖父が亡くなった。
結局倒れてから救急車の中で意識不明になったらしく、俺は言葉を交わす事が出来なかったけど、人工呼吸器に繋がれ、弱々しい数値を映すモニターをつけられながらも一旦家に引き上げる直前に目を開けてくれた。
虚ろな感じやったので正直見えてるかどうか、今自分がどうなっているのかさえ分からなかったかもしれないけど、その場にいた家族の顔は一通り確認してたように俺には見えた。
亡くなる時は本当にドラマみたいに、徐々に弱まる波形と反応。
担当していただいた医師の死亡確認。
葬儀の手続きから一旦自宅への引き上げ。
一部始終を知らなかった祖母への告知と、「仏さん」と呼ばれるようになった祖父と実家での一晩。
大勢の人と花に囲まれた通夜、告別式。
一つ、気持ちの整理がついたような気がした火葬場、納骨。
初七日。
たった3〜4日ぐらいのことやったけど、気持ち以外は全てが淡々と進んだ。
ちょうど2年前の同じ6月22日が母方の祖母の告別式で、奇しくもこの日は親父の誕生日。親父も自分で言うてたけど、きっと母方の祖母と一緒で祖父も「忘れるなよ」って言うてるみたいだなって思う。
何でもない日に一つ何かが増えるんではなくて、元あった何かの日に被さるのは何かいいなって思った。
実家にいた頃はなんだかんだと気にかけてくれて、色々言われて、心配してくれて本当に優しい祖父でした。
そういや小学校に上がる時に「学校では〜」「先生には〜」とあれこれ言われたっけ。
大きくなってからは言わんくなってたけど、小さい頃は朝起きたら食卓で新聞読んでる祖父に「おじいちゃん、おはようございます!」って言うてたっけ。
買い物が大好きで、俺が免許取ってからは何回か横に乗せて行ったっけ。
結局家庭菜園もしたいしたい言うてて、気が向いた時に何かやるぐらいで、何も教えてもらってないな。ちゃんと聞いてれば良かった。
昼に焼いてくれたネギ焼き美味かったなー。
祖母のことを何処かに書いてたなって思ったらここに書いてたので、祖父のことも書いておこうと綴ってみたけど、久しく文章書いてなかったせいか、整理しきれてないのか結局箇条書きにしかならなかった。 今回も見た感じ、どうこうはなってないとは思うけど、もう少し整理しきるには色んな場面で時間はかかりそうだ。