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日常のあれや、これや。

お疲れ様。そして、ありがとう。

naltaです。

 

先週末に母方の祖母が亡くなり、週末は通夜に葬儀とあっという間に終わってしまった。6月に入ってからそろそろ危ないかもしれないと親父から連絡もあり何回かは顔を見に行ったけど結局最後は母さんと2人の時に静かに亡くなったらしい。

症例数も少ない珍しい病気になってからというもの、徐々に痩せてしまって亡くなる数日前は体重も30kgそこらになってしまってたらしいけど、遺影用にと妹が見つけた写真はぽっちゃりした丸顔で「そういえば記憶の中の祖母は確かにこんな感じだった」と兄弟含め懐かしく話した。

寝たきりになってからずっと介護し続けてきた母さんには痩せこけた祖母の顔が印象に強いみたいで、丸顔の写真は少し違和感があると言ってたけど、それだけの変化を徐々に見て来た母さんだからこそ昔の祖母の写真は急に頭では理解出来ない程の違和感になったんだと思う。

父方の祖父母の親戚もそうやけど、ある程度の年になると中々親戚の集まりも行かなくなり、結局近所に住んでる親戚ぐらいしか顔も分からなくなる。

今回は更に記憶に薄い母方の祖母の親族がメインで集まったので、会う人会う人にオレは5歳ぐらいの時の印象しか無いと言われたが、それはこちらも同じで全く記憶も無い。

ただ、当初は近場に住んでる親族ぐらいしか集まらんだろうと聞いていたけど、結局は東京の方からも急遽帰ってきてくれた方もいて、やっぱり祖母の人徳の賜物だろうと思った。

 

通夜も葬儀でも、流石にオレも泣くだろうかと思ってたけど結局泣くことは無かった。

悲しいっていう気持ちはもちろんあったし、グってくる瞬間もあった。

でも祖母の穏やかな顔を見てたら「お疲れ様」っていう感情が先行して、悲しんで送るっていうのが変なように感じて泣かなかったんやと思う。

先月は仕事で割と深い付き合いのあった方がバイクの事故で急に亡くなり、正直これは未だに引きずってる部分もあるけど、祖母はちゃんと心の準備をする時間があったというのも大きいなと思った。

 

1人の人が亡くなっても世間は結局何事も無かったように回るし、いつかは亡くなった方がいない生活に馴れていく。

そうやって回る日々に、結局は引っ張られて徐々に元の生活に戻っていく。

ただ、やっぱり自分に近しい人が亡くなるというのはそっちに戻るまでに時間は要するんだとこの2ヶ月ぐらいで知った。

 

多分、表面上はどうも普通に出来てるみたいなので、あとは少しずつでも内面の整理をつけていかないとなー。

ホント面倒な性格だな、うん。